もうすぐ僕の北海道へ移住も18年がたちます!佐々木夏実移住前史

■北海道・オホーツク・小清水町に移住するまでの僕の生い立ち

僕が北海道・オホーツク・小清水町に移住したのが2005年4月25日、そして、今は2023年4月13日ですから。18年が経とうとしています。

●小学校は地元の中里小学校(世田谷区)

小学校の修学旅行

写真:小学校の修学旅行

僕は東京都の世田谷区三軒茶屋に生まれて、小学校は地元の中里小学校に行きました。

●中学・高校は東京大学付属中学・高校(中野区)

中学校の入学式

写真:中学の入学式

中学・高校は三軒茶屋から世田谷線に乗って、下高井戸を経由して、京王線で幡ヶ谷までいって、そこから徒歩で東京大学附属に6年間通いました。学校は中野区にありました。

●大学は町田市の私立・和光大学

大学は和光大学でしたが、三軒茶屋からバスで下北沢に出て、下北沢から鶴川まで小田急線にのって、そこからは徒歩で大学まで行きました。

いろいろありましたがいろろな出会いもあって4年間を過ごしました!

●大学を卒業してからの最初の職場は私立森村学園中等部

最初の職場(社会科教員)は、田園都市線のつくし野の森村学園中等部で、三軒茶屋から新玉川線がそのまま田園都市線になって、つくし野までいきした。

結局、三軒茶屋には26年間住みました。ここが人生の中で一番長い時間を過ごした場所になります。(住んでいた場所に10年ぐらい前にいってみましたが、母親が残した銀杏の木だけが残っていただけでした。)

その時点で引越をして、横浜市緑区(当時)、今は青葉区の長津田に住みました。長津田からは、最初は徒歩で通いましたが、途中からはバイクになったと思います。住んでいた場所は駅からちょっと離れた田園地帯で田んぼが広がっていました。

佐々木夏実と田村禎子の結婚式

写真:結婚式

同時にこの頃結婚をしました。

森村学園には、5年間勤務しました。

●2番目の職場は東京の筑波大学附属盲学校

その後、筑波大学附属盲学校に職場が変わりました。現在の学校名前は。「国立大学法人 筑波大学附属視覚特別支援学校(https://www.nsfb.tsukuba.ac.jp/)」と変わっています。

ここでも社会科の教員をやりました。この職場は、池袋に近い護国寺というところにありました。しばらく長津田から田園都市線・新玉川線・半蔵門線というルートで通いました。

野庭の公務員住宅にて仲と集まった時

写真:横浜の野庭の公務員住宅

ここにに移ってからしばらくして。横浜市港南区日野の野庭公務員住宅に移りました。ここからは徒歩で横浜市営地下鉄の上永谷駅まで徒歩で歩いて、横浜市営地下鉄で戸塚まで出ました。

そこからは東海道線(時々、横須賀線)で新橋までいき、新橋から山手線で1駅、有楽町まで行って、そこから営団地下鉄の半蔵門線で、護国寺までいきました。結構長い行程で、2時間以上はかかりました。

津久井の畑にて

写真:津久井の農場にて仲間と

遠路はるばる70km離れた津久井町に1反の農場を借りていたのもこのころです。

●3番目の職場はピアサポートと障がい者ITのNPO、ITサポートの自営業等

筑波大学附属盲学校を退職してからは、家族は一足先に北海道・オホーツク・小清水町に移住して行きました。

僕は、一人横浜に残りましたが、公務員住宅にはそのまま住めないので、中区の中村町に引越しました。そこで1年間、ピアサポートという障がい者を支援する会社は障がい者ITのNPOやITサポートの自営業といろいろなことをやりました。面白いところでは、仲がよぅなったフィリピン人といっしぃにパブ・レストランもやりました。

そうこうしているうちに、やはり家族といっしょに住みたいと言う気持ちが高まり、北海道・オホーツク・小清水町に移住することを決めました。

オホーツクへの引越にあたり、送れるものは宅配便を使い、後の大きなものは、僕が運転するワゴン車で運びました。

●2005年4月25日。佐々木夏実は北海道・オホーツク・小清水町に移住しました。

2005年4月25日の北海道・オホーツク・小清水町

2005年4月25日の北海道・オホーツク・小清水町

2005年4月25日、僕の移住のスタートとなる日でした。その後のことについては、総括的においおい書いていきます。

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