東京から流氷のご縁でつながっている柳さんご一行と浜小清水で会いました!
柳さんとは今も続いているMIXIでつながりました!
その後Facebookでもつながりが大きくなり、柳さんたちがオホーツクにいらっしゃる時、あるいは僕が東京へ行ったときに、いろいろ遊んでもらっています!
今回も柳さんの企画した2024年2月のツアーでオホーツクを徘徊されています!(写真は2月16日に北海道・オホーツク・浜小清水駅にて撮影)
その後Facebookでもつながりが大きくなり、柳さんたちがオホーツクにいらっしゃる時、あるいは僕が東京へ行ったときに、いろいろ遊んでもらっています!
今回も柳さんの企画した2024年2月のツアーでオホーツクを徘徊されています!(写真は2月16日に北海道・オホーツク・浜小清水駅にて撮影)
2023年2月に浜小清水で再会した柳さんたち!
2023年2月に浜小清水で流氷を堪能している柳さん!
この日の夕刻にお会いしたのは、柳さん!柳さんとのお付き合いは、もう10年以上になります。そのきっかけとなったのは、今も続いていますが、SNSのMIXIでした。柳さんはリチャード・キッスと名乗っていました。
当時(いつだったか正確な記録はありません。)柳さんが僕の住んでいる場所に近い、「網走市の北浜から小清水町の浜小清水に歩いている」という記事を見て、それにコメントしたことから始まっています。
柳さんは若いときに、北浜に近い浜小清水の牧場で働いていたことがあったとのことで、オホーツクファンであることがわかりました。
その後、知床や神の子池にご案内したことがありました。また柳さんのお住まいが、僕が26年間住んだ東京の世田谷区の三軒茶屋にちかいということもあって、かなりオンラインでも親しくなりました。柳さんは音楽関係の舞台の仕事をされていて、音楽の趣味でも共通の理解があったり、共通の友人がいたりしたこともありました。
北見・ロック座
オホーツクでは、柳さんを北見にご案内して、ロックバーのロック座を紹介し、大変気に入っていただたことも縁が深くなったことがあります。
ロック座のマスターの素晴らしい人柄にふれて、柳さん単独でまさにロック座にはまって何度も訪れているようです。
そんな柳さんと相談して、お互いが関わり合いの深い下北沢で会おうということになりました。
まずは腹ごしらえとお互いが共通に知っている今もある中華料理屋の珉亭(みんてい)に行こうと向かいましたが、何と臨時休業でした。珉亭は何度も行ってとても懐かしかったですが、しょうがありません。柳さんがしっている辛めのちゃんぽんがあるお店に連れて行ってもらいました。とても美味しかったです。(店の名前は残念ながら忘れました(~~;)
下北沢駅南口・レコード盤が回る昭和の雰囲気の空間「つむじ風」
続いて連れて行ってくれたのは、下北沢駅南口を三軒茶屋方向に降りていたところにある「つむじ風」というお店にいきました、3階にあります。
●地図
ここはしっかりレコードプレイヤーが2台置いてあって、雰囲気の良いまさに昔の雰囲気のバーでした。なつかしいレコードを一杯聴きました。お供のウイスキーは最初はサントリーのホワイトにしました。
というのも昔、僕は店の近くにあるオムレツと珈琲の店に飲みに行っていました。そこのマスタやースタッフに大変お世話になったばかりか、大学4年の夏にカウンターに入って仕事をしていましたが、その店の売りが「雨降りサービス」で、普通2600円だったサントリーホワイトのボトルが1900円になるのでした。そのことを思いだして一杯目は、サントリーホワイトをストレートでいただきました。
2杯目は以降はサントリーの白州があったので、もちろんそれをストレートでいただきました!この上なく美味しい!心地よい音楽と白州でもう僕の心は躍り上がっていました。
でもこの日はまだまだ続きます!
三軒茶屋から下北沢に行くには小田急バスに乗って、15分ほどです。この区間は僕が和光大学の学生だった1977年から1980年まで利用しました。
和光大学は小田急線の鶴川にあって、下北沢から小田急線を利用していたからです。本当に懐かしいバスです。バスにはオホーツクでは、ほとんど利用したことがありません。札幌に行くための都市間バスは何度も利用したことがありますが、街中のバスの利用というのは本当に20年ぶりです。乗車方法は変わっていませんでした。運転席のところで料金を支払い、降りるときは中間の出口から下車するという方式は覚えてきました。
バスを下北沢で下車してすると懐かしい交差点がありましたが、全く姿が変わっていました!か坂を登って、下北沢駅に向かいます。坂の入口のところはパチンコ屋さんがあって、2階がライブハウスでしたが、面影だけが残っていました。坂を登り切ると下北沢駅ですが、そこもここはどこななのというようにまるっきり変わっていました。
駅は2階にあったのですが、今は1階です。まだ工事中のようでした。
僕の記憶している下北沢の姿は一変してしまったようです。
[続く]
三軒茶屋は僕が生まれてから26年間住んでいた場所で、僕の一生の中では一番長く住んだ場所です。
今は住んでいた場所はすでになくなっていますが、25日の朝に歩いて見ました。そのことについては別ファイルで報告します。
僕が生まれてから10歳になる頃までは、玉電(路面電車)が国道246号線を走っていました。玉電が廃止された後に地下鉄の新玉川線が通りました。
新玉川線は渋谷まで5分でいくので渋谷にはよく行きました。
三軒茶屋からはどこにいくのにも便利でした!
ここは30年ぐらいはちゃんと歩いていません。10年前にちょっとだけ昔住んでいたところを訪ねたことがありますがもうすっかり変わっていました。
でも一番住んだところですから、それなりの愛着があります。
三軒茶屋やの交差点付近をうろちょろししてからこの日宿泊する「the b sanhemjaya」にチェックインしました。
三軒茶屋にホテルがあることがびっくりですが、以外と高かったのですが、運良く割り引きチケットが手に入りました。
少しやすんで・・・次の場所に出かけました!
[続く]
タワーレコードの入口でプロミュージシャンのセッションイベントである昨年なくなった熊谷美広さんが主宰されていた「Jam For Joy」のstaffをしていた2000年頃のメンバーと久しぶりに会いました。二人とも渋谷は久しぶりで、タワーレコードだったらわかるだろうという結論になりました。問題なく会えました!
早速レコードのフロアーへ!僕の住んでいるところに近くにはこれだけレコードを置いてあるところはない。都会に来たことを実感しました。何とクラプトンのレイラが2万円の値段になっていました。昔もっていたのに・・・と思いつつやレコードの価値が上がっているのを同じく実感しました。いろいろ見て回って思い出のアルバムにも多数出会いましたが、一枚も買わずに、これ以上このフロアーにはいたら大変なことになると思いそとにでました。
「Jam For Joy」のstaffをいっしょにしていた彼(大橋さん)とは同じ渋谷で一緒にランチをしました。
話は過去の主に「Jam For Joy」のstaffをしていた頃から現在のミュージシャンの話になりました。「Jam For Joy」はプロミュージシャンのセッションイベントでしたから、様々なミュージシャンのお手伝いをしながらたくさん方と出会いました。その出会いは本当に一生もので、今もお付き合いをされている方もたくさんいます。あの人の話からこの人の話まで話は尽きません。あっという間に時間が経ちました!それと同時にこういう話を共有できる仲間と話があれから20年も経ってできていることに感動しました。FBでのお付き合いがあるにしても、実際にあって語り合うことの重要性を感じています。
渋谷のカフェで友人とランチしててから渋谷の公園通りを歩きました。その変わりようにびっくりしながらも今も残っている山手教会を目にしました。ここは僕たち夫婦が1985年に結婚式をあげたところです。友人があげた結婚式を見て、どうしてもここで結婚式をあげたくなったからです。今も残っている山手教会に感動を覚えました。
[続く]
場所によっては20年いや30年以上行っていないところもあります。
昨年の10月に山梨・横浜・東京と旅行しましたが、JALが格安の航空券をWebで紹介していましたので、ダメ元で挑戦してみたところ、格安航空券が習得できました。
通常だと、何万円もかかるところですが、何と13,200円で東京への往復が可能となりました!
この旅については、Facebookなどで紹介していましたが、記憶が薄れないうちに詳細な記録を書いておいたほうがよいと思いここに記します。
オホーツク・女満別空港にて
まずの目的地は渋谷です。
空港の京急のホーム
京急で品川まで行き、JRに乗り換えました!
JRの品川駅ホーム
渋谷駅に到着すると、見慣れた光景と思いつつや、だいぶ様子が違っています。
渋谷駅のスクランブル交差点
勝手違いと思いつつも待ち合わせ場所のタワーレコードまで歩いて行きました。
西武百貨店
なつかしの西武百貨店があるのを確認しました。
しばらくいくとタワーレコードが見えてきました。
ここで待ち合わせをしたのはお互いの趣味が音楽であったので、タワーレコードだったら間違えないだろうというのが待ち合わせ場所をめた理由でした!
記念撮影
タワーレコードの入口で僕の記念撮影をしてもらいました!
【続く】
会社では、PA(音響)、楽器レンタル、コンサート制作、ラジオ番組制作、アーティストのマネージメント等、音楽に関わる全てをクリエートされています。代表的なクリエートとしては、ハーモニカ奏者の山下 伶がいます。
土谷さんとは横浜で開催されたバンドが集まるイベントで僕の友人のドラマーの紹介でしりあったのだと思います。
当時(今も)PAを担当していてくださって、僕が盲学校勤務時代には生徒と一緒に作ったバンドで出たイベントでもPAを担当していただきました。
そのイベントではその後僕は、スタッフとなって舞台監督をしたりしていました。そんなことで土谷さんとの交流は深まったと思います。
土谷さんのオリジナルCDを制作するためです。
シングルのミニアルバムは、「この場所へ」という曲と「Good By Summer」という曲で2曲とも土谷さんのオリジナルで、土谷さんはボーカルとアコ-スティック・ギターを当されていました。僕はエレクトリックギターで参加しました。アルバムの発売を記念してのライブもやった記憶があります。
1999年にアルバムをレコーディングしたときの土谷さん
1999年にアルバムをレコーディングしたときの佐々木夏実の機材
この時の「この場所へ」を聞けるようにしてみました。
その時の「この場所へ」という曲は、山下伶 さんの「Fantastic Films」というアルバムでも取り上げられて、しかも僕も知り合いのピアニストの安部潤さんが関わってアレンジを担当されたとのことです。
山下伶 さんの「Fantastic Films」
「この場所へ」はオリジナルは土谷さんがボーカルでしたが、「Fantastic Films」では、山下伶さんのハーモニカで現代的なサウンドになっています。