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浜小清水ー知床斜里間の「流氷物語」号に乗って見ました!車内編(2025年2月25日)

■「流氷物語」号に乗って見ました!車内編<往路>(2025年2月25日)

浜小清水ー知床斜里間の「流氷物語」号に乗って見ました!車内編<往路>(2025年2月25日)

浜小清水ー知床斜里間の「流氷物語」号に乗って見ました!車内編<往路>(2025年2月25日)

浜小清水ー知床斜里間の「流氷物語」号に乗って見ました!車内編<往路>(2025年2月25日)

浜小清水ー知床斜里間の「流氷物語」号に乗って見ました!車内編<往路>(2025年2月25日)

浜小清水ー知床斜里間の「流氷物語」号に乗って見ました!車内編<往路>(2025年2月25日)

この区間は乗用車ではよく走る区間ですが、乗用車と列車では、経路が違うせいで、まったく景観が異なっています。

乗用車の場合、ちょっと内陸部を走行しますが、列車は、浜小清水の次の止別(やむべつ)を通過すると流氷を視野に入れた景観となります。

これは「JR釧網本線の特典」といってもよいと思います。素晴らしい景観を列車から見れるのですから!

車内で列車の運賃を車掌さんと清算しました。往復で1760円(2人分)でした!

約17分間で知床斜里駅に到着しました!

浜小清水ー知床斜里間の「流氷物語」号に乗って見ました!車内編(2025年2月25日)

■「流氷物語」号に乗って見ました!車内編<復路>(2025年2月25日)

浜小清水ー知床斜里間の「流氷物語」号に乗って見ました!車内編<復路>(2025年2月25日)

浜小清水ー知床斜里間の「流氷物語」号に乗って見ました!車内編<復路>(2025年2月25日)

浜浜小清水ー知床斜里間の「流氷物語」号に乗って見ました!車内編<復路>(2025年2月25日)

浜小清水ー知床斜里間の「流氷物語」号に乗って見ました!車内編<復路>(2025年2月25日)

知床斜里を14:03発に出発した「流氷物語」4号は天気の良いオホーツク海に流氷が接岸している様子がよくわかりました!

ここ20年で昔のようなすごい流氷は見なくなったといいますが、流氷のすごいやつを見てみたいと思いました。

いつもとは違うJR釧網本線の乗車は、我々夫婦にとっては本当に新鮮なものでした!

そして、本当に楽しかったです!

浜小清水ー知床斜里間の「流氷物語」号に乗って見ました!知床斜里編(2025年2月25日)

■「流氷物語」号に乗って見ました!知床斜里編(2025年2月25日)

浜小清水ー知床斜里間の「流氷物語」号に乗って見ました!知床斜里編(2025年2月25日)

浜小清水ー知床斜里間の「流氷物語」号に乗って見ました!知床斜里編(2025年2月25日)

浜小清水ー知床斜里間の「流氷物語」号に乗って見ました!知床斜里編(2025年2月25日)

浜小清水ー知床斜里間の「流氷物語」号に乗って見ました!知床斜里編(2025年2月25日)

知床斜里には、13:38着に到着しました!多くのお客さんはここでおりますが、僕たち夫婦は、ここら折り返して、浜小清水に戻ります!

折り返しは、知床斜里14:03発です。しばらく時間があるので、駅構内をうろうろしていました💦

駅構内からは海別岳(ウナベツダケ)がまじかで迫力ある姿を見ることができました!

それにしても知床斜里は大きな駅ですね!ホームが2つあって、そこに3つの線があります!

改札が始まったというアナウンスがあったので列車に乗り込んで指定席でない海側の席を陣取りました!

「流氷物語」号に乗って見ました!車内編(2025年2月25日)

■「流氷物語」号に乗って見ました!車内編<往路>(2025年2月25日)

「流氷物語」号に乗って見ました!車内編<往路>(2025年2月25日)

「流氷物語」号に乗って見ました!車内編<往路>(2025年2月25日)

「流氷物語」号に乗って見ました!車内編<往路>(2025年2月25日)

「流氷物語」号に乗って見ました!車内編<往路>(2025年2月25日)

この区間は乗用車ではよく走る区間ですが、乗用車と列車では、経路が違うせいで、まったく景観が異なっています。

乗用車の場合、ちょっと内陸部を走行しますが、列車は、浜小清水の次の止別(やむべつ)を通過すると流氷を視野に入れた景観となります。

これは「JR釧網本線の特典」といってもよいと思います。素晴らしい景観を列車から見れるのですから!

車内で列車の運賃を車掌さんと清算しました。往復で1760円(2人分)でした!

約17分間で知床斜里駅に到着しました!

浜小清水ー知床斜里間の「流氷物語」号に乗って見ました!浜小清水編(2025年2月25日)

■「流氷物語」号に乗って見ました!浜小清水編(2025年2月25日)

浜小清水ー知床斜里間の「流氷物語」号に乗って見ました!浜小清水編(2025年2月25日)

浜小清水ー知床斜里間の「流氷物語」号に乗って見ました!浜小清水編(2025年2月25日)

浜小清水ー知床斜里間の「流氷物語」号に乗って見ました!浜小清水編(2025年2月25日)

浜小清水ー知床斜里間の「流氷物語」号に乗って見ました!浜小清水編(2025年2月25日)

横浜から北海道に移住してから20 年間でわずか5回目のJR釧網本線の乗車となります!

乗車したのは浜小清水ー知床斜里間です。

今日は天気が良いこともあって、記念すべき乗車となりました、

浜小清水13:19発のJR釧網本線(「流氷物語」3号)に乗ろうと思ってホームに行ってみましたが、誰もいません💦

浜小清水からだと記念すべき特別の臨時列車でも乗る人はいないのですね!

浜小清水に近いフレトイ展望台に登っている人たちがいました!あそこから見る流氷も本当に絶景です!

列車が入ってきました。キハ40-1779とキハ40-1720の2両編成です!

キハ40-1779は「森の恵み」号。キハ40-1720は、「流氷の恵み」号と名づけられています。

列車の窓側は大半が指定席になっていましたが、指定席でないボックス席が一つ開いていましたのでそこに陣取りました!

「流氷物語」号の詳細については、「流氷物語号|JR北海道- Hokkaido Railway Company」をご覧ください!

自慢のダキスト(フルアコ)と小嶋利勝氏

■Jazzギターの師匠のライブ演奏をYoutubeで発見し、興奮しました!

自慢のダキスト(フルアコ)と小嶋利勝氏

自慢のダキスト(フルアコ)と小嶋利勝氏

昨日はずっと前(25年前?)に連絡をたっていた友人とFacebookで再会し、続けて電話でも話すという快挙を遂げたのですが、その友人とのは、僕のギターの師匠である京都のジャズ・ギターリストであった「小嶋勝利氏」との出会いでした。

僕は40歳になるちょっと前に、たまたま当時住んでいた横浜での音楽・ギター仲間の友人と少しはギターのことを一生懸命勉強したいという思いから、東京は幡ヶ谷にある「アン・ミュージック・スクール」に1年間通ってみることを決意しました。

アン・ミュージック・スクールは、すごいミュージシャンを輩出してきたスクールで、学費もそれなりにかかりました。週1回の実技と音楽理論の授業に参加は結構大変でした。

その予習等は、当時、学校の教員をやっていた僕には、きついものでしたが、やる価値があると判断してのことです。

そこでお世話になったのが、「小嶋勝利先生」でした。当時の小嶋先生は、ちょうど還暦を迎える歳で、家は京都で、京都でギターを教える一方でもともと東京の人でしたので、東京でもギターを教えていました。

そのギタープレイは本当に素晴らしく、実技の授業では毎回感動のるつぼでした。毎回配布される「運指のための楽譜」とジャズの基本となる「課題曲の楽譜」が配布され、それに対し、必死に取り組みました。

アン・ミュージック・スクールでは、生徒は若い人が多いのですが、それなりに歳のいっていた僕たちに対し、歳が近いせいか小嶋先生は、本当に気さくに対応してくださいました。

いつしか僕たちは、先生とお酒を飲む中にもなっていました。

アン・ミュージック・スクールを卒業してからは、小嶋先生が東京付近でライブをやるという話を聞くと必ず訪ねました。

本当に先生の演奏は素晴らしかったのです。

ある時は、先生を僕の車に乗ってもらい、はるばる茨城のライブがやれるレストランにいっしょに行ったこともあります。

先生が「FenderのギターアンプのTwin Reverbの1960年代のモデルを持っているけど、最近はポリトーンばかりで、つかわないので使うかい?」と言われて、さっそくいただきに東京の実家まで取りに伺ったこともあります。

まあそれだけ親しくさせていただいた先生です。京都のお宅にも何度も泊めていただき、僕と同じ歳の奥様にも大変よくしていただきました。

その後、僕は北海道に移住しましたが、お歳暮は欠かしたことがありませんでしたし、連絡はずっと続けていました。

ある日、携帯に電話がかかって来たのですが、何とそれは小嶋先生でした。小嶋先生もけっこういい歳になってからPHSを持たれたですが、そこに登録されていた相手は、僕と昨日再会した友人の電話番号だけだったと聞いています。

コロナの中、先生はお亡くなりになりました、とても残念なことです!改めてご冥福をお祈りします!

その小嶋先生をYoutubeで昨晩検索してみたら、先生の演奏する姿が検索されました。

いつ頃の演奏だかわかりませんが、自慢のダキストのフルアコをもっての演奏でした!この演奏は本当に素晴らしく、多くの方にご覧になっていただきたいです。

いろいろな関係で、ここにその映像は公開出来ない見たいですが、アドレスは記載しておきます。

James L. D’Aquisto