■我が家にも「春」がやってきた!隣の家の桜!2024年5月1日
◎ふと気にしていなかったですが、我が家にも春がやって来たことを実感しました!
隣の家の桜!といっても本当に小さい桜の気なのですが、見事に咲いていました!
春を感じました!そして、いろいろなことやっていきたい気持ちが増えました!
今日は5月1日ですが、北海道のオホーツク・小清水町・浜小清水の春でした!
iPhone15で撮影しました。
隣の家の桜!といっても本当に小さい桜の気なのですが、見事に咲いていました!
春を感じました!そして、いろいろなことやっていきたい気持ちが増えました!
今日は5月1日ですが、北海道のオホーツク・小清水町・浜小清水の春でした!
iPhone15で撮影しました。
僕が北海道・オホーツク・小清水町に移住したのが2005年4月25日、そして、今は2024年4月13日ですから。19年が経とうとしています。
小学校の林間学校・日光
僕は東京都の世田谷区三軒茶屋に生まれました。基本的には母子家庭で、母に育てられました。小学校は地元の中里小学校に行きました。
東京大学付属中学の入学式
中学・高校は三軒茶屋から世田谷線に乗って、下高井戸を経由して、京王線で幡ヶ谷までいって、そこから徒歩で東京大学附属に6年間通いました。学校は中野区にありました。
この時期は大変楽しい学校生活を送り、バンド活動もやっていました。このころはベースを弾いていました!
今の昔もあまり変わらない大学の構内の様子
大学は和光大学でしたが、三軒茶屋からバスで下北沢に出て、下北沢から鶴川まで小田急線にのって、そこからは徒歩で大学まで行きました。
いろいろありましたがいろろな出会いもあって4年間を過ごしました!
学科は人間関係学科でしたが、主に社会科教育を専攻にしていました。
子どもたちのかかわりをしたいという思いで、町田で子どもたちを育てる「少年団」の活動に指導員としてかかわりました。
現在の森村学園中等部
最初の職場(社会科教員)は、田園都市線のつくし野の森村学園中等部で、三軒茶屋から新玉川線がそのまま田園都市線になって、つくし野までいきした。
社会科といっても基本的に僕は地理を担当しました!
結局、三軒茶屋には26年間住みました。ここが人生の中で一番長い時間を過ごした場所になります。(住んでいた場所に10年ぐらい前にいってみましたが、母親が残した銀杏の木だけが残っていただけでした。去年訪問したらなくなっていました。)
その時点で引越をして、横浜市緑区(当時)、今は青葉区の長津田に住みました。長津田からは、最初は徒歩で通いましたが、途中からはバイクになったと思います。住んでいた場所は駅からちょっと離れた田園地帯で田んぼが広がっていました。森村学園には、5年間勤務しました。
同時にこの頃(1983年3月30日)結婚をしました。
結婚式の披露宴
僕が在任していたころの筑波大学附属盲学校(2003年)
その後、筑波大学附属盲学校に職場が変わりました。現在の学校の名前は。「国立大学法人 筑波大学附属視覚特別支援学校)」と変わっています。ここでも社会科の教員をやりました。この職場は、池袋に近い護国寺というところにありました。しばらく長津田から田園都市線・新玉川線・半蔵門線というルートで通いました。
ここにに移ってからしばらくして。横浜市港南区日野の野庭公務員住宅に移りました。
公務員住宅にて仲間と・・・。
ここからは徒歩で横浜市営地下鉄の上永谷駅まで徒歩で歩いて、横浜市営地下鉄で戸塚まで出ました。
そこからは東海道線(時々、横須賀線)で新橋までいき、新橋から山手線で1駅、有楽町まで行って、そこから営団地下鉄の半蔵門線で、護国寺までいきました。結構長い行程で、2時間以上はかかりました。遠路はるばる70km離れた津久井町に1反の農場を借りていたのもこのころです。ここへ通うのに3時間ぐらいかかったこともありました!
津久井の農場にて、仲間と!
ピアサポートで開催した北海道の農家との交流「北の大地 お台所フェアー」
筑波大学附属盲学校を退職してからは、家族は一足先に北海道・オホーツク・小清水町に移住して行きました。
僕は、一人横浜に残りましたが、公務員住宅にはそのまま住めないので、中区の中村町に引越しました。そこで1年間、ピアサポートという障がい者を支援する会社は障がい者ITのNPOやITサポートの自営業といろいろなことをやりました。面白いところでは、仲がよくなったフィリピン人といっしぃにパブ・レストランもやりました。
そうこうしているうちに、やはり家族といっしょに住みたいと言う気持ちが高まり、北海道・オホーツク・小清水町に移住することを決めました。
オホーツクへの引越にあたり、送れるものは宅配便を使い、後の大きなものは、僕が運転するワゴン車で運びました。
移住したころの我が家
2005年4月25日、僕の移住のスタートとなる日でした。その後のことについては、総括的においおい書いていきます。
道端に少し雪が残っていますが、雪はあらかた消えてしまった感じです!庭にはまだ残っていますが・・・。
それでも春なんですね!雪解けが早い!のなんのって!
僕が移住してきた2005年も4月に大雪があったと記憶しています。
移住してくるのに借りたレンタカーがノーマルタイヤで大丈夫ということで心配されていました。雪解けが予想以上に早く問題はなかったわけですが・・・。
過去の一番の思い出は、今から10年以上の前のことです。
家から1時間ちょっとの距離にある中標津にPCの訪問出張サポートに出かけて、急に雪が激しくなり、国道が通行止めになって、帰れなくなり、その地域の施設に一泊したという記憶です!何とその事実は新聞にも載ってしまったという・・・。
でも、今回の雪もけっこう激しいものがあります。昨日までは雪のかけらも消えていたのに、場所によっては昨日は20度をこえていたというような話もあります。
そして!気が付くと!見る見るうちに一面銀世界になりました!
北海道はすごいなぁとやっぱり思います!これは貴重な経験だと思っています!
強風の被害、囲いが崩壊しました!
3月の終わりもすごく風が吹き、一時は暴風になりました。その結果、家庭菜園から風害を守るために網を張って、風を防いでいるのですが、あまりの風の強さにその網の囲いが壊れてしまいました。
修復した囲い
囲いを直すには、二人以上のいないとならないで妻の休みの日を待ちましたが、その待望の休みの日には何と雪が降って、作業を断念せざるを得ず、昨日ようやく修復することができました。作業をするにあたっては、やはり妻の力があってこそでした!
芽が出たブルーベリー
作業のおわりにちょっとブルーベリーの様子を確認したところ、ちゃんと芽が出てきていました。
昨年はなぜか実を付けなかったので、しっかり剪定をしたので、今年は期待しています。
遠くに流氷帯も見えません!
今年は本当に長いこと流氷に楽しませてもらったという感じです!
いよいよお別れの日が来たという感じです!
流氷さん!ありがとうございます!と感謝を述べたいと思います!
だだしこの景観もなかなかいいものです!流氷が浮いていることがよくわかります!
また今日は知床連山などがよく見えました!
今度こそ本当に海明けかもしれません!
2024年3月22日の流氷
フレトイ海岸の入口(眼下に流氷が見えます。)
フレトイ海岸にそびえるフレトイ展望台
・この時期に流氷の大接岸がこの目で確かめられるのはラッキーとしかいいようがありません!
・今日も楽しい流氷との時間を迎えられることは素晴らしいことだと思います。
・ちょっと指が画面に入ってしまいましたが、そこは勘弁してください!
「夫婦での流氷をバックにツーショット」
●写真・動画 撮影地:北海道 オホーツク 浜小清水 フレトイ海岸
まだまだ流氷シーズンは終わっていないのだと実感しました!それにしてもこの全面接岸は素晴らしいです!
写真・動画 撮影地:北海道 オホーツク 浜小清水 フレトイ海岸
朝方、FaceBookの友人である「網走自然ガイド&旅人の宿わしのとまり木」さんのサイトで「流氷戻って来ました!」という告知があったので、北浜の隣町である浜小清水も流氷が戻っているだろうと思って浜小清水のフレトイ海岸に行ってみるとびっちり来ていました!
3月の半ばで流氷に遭遇したことは何度もありますが、やはりこうして流氷を目の当たりにしてみると感動も大きいものがあります。
流氷よ、お帰り!!!